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祖母が他界

12/4の朝、叔母から「もう意識がない」と連絡を受け、会いに行ったら呼吸がすごく苦しそうでただただ手を握って背中をさすることしか出来なかった。
その後トークイベントに出演しに一旦帰り、終わって電話をしたら息を引き取ったと。

あまり人には話してないが、祖父は地元で議員を8期も勤め上げ、この町に大きな希望をもたらした偉大な人。
そんな祖父は筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病にかかり13年前に他界。そんな祖父を支え続けた祖母。
それから数年後、息子であるうちの父も癌になり約6年前に他界。息子を先に亡くした祖母は相当苦しかったと思う。
それでもいつも笑顔で弱音を吐かずに私や潮をいつも可愛がってくれた。

父が亡くなってからは、よく2人で飲んでいろんな想い出話を聞かせてくれた。2人で酔っ払って泣いた日もあった。
祖父がどんな人だったか。どうやって今の環境ができたのか。戦争に身内を見送った時の話。右翼に家を囲まれた話。
子供の時には知らなかった沖島家のルーツをたくさん話してくれた。

倒れる二日前まで普通に一緒に食事して、お酒飲んで、潮とボール遊びしてくれた。
「私がもしボケたりご飯が自分で食べれんごとなって自分じゃなくなったら殺して欲しい。」と言っていた数日後、脳出血で突然倒れ、一気に会話も食事も歩くことも出来なくなった。それが約5年前。それからは病院で治療を受けリハビリをするも後遺症は変わらず、しぶしぶ特別介護老人ホームへ入所することとなった。
それからは会いに行っても何だか生かされてる感が私にはたまらなかった。私や潮のことを何となく認識している様な日もあれば、ただボーっと何かを触ってるだけの日もあった。最初の頃は、帰ろうとすると泣きながら追いかけようと必死で立ち上がろうとしてた。
日が経つにつれどんどん衰えていく祖母に何もしてあげられなかった。

もう一度笑った祖母の顔がみたかったなー。
本当に苦労が多かった祖母。お疲れ様。安らかに。
散々人の世話した分、あっちで爺ちゃんとパパに優しくしてもらってね。伝えとくわ。
あなたのおかげで今の私たちがいます。心からありがとう!!

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